真面目な考察

一昨日、けっこう窓口が落ち着いていて
窓の外の雑踏というか、人の洪水を眺めていたら
ふと、思いついたこと


よくカラスは4つまでは数えられるが
それ以上はわからない、というけれど
人間は数を知っているから数えることはできるものの
きちんと認識し対応できるのは
カラスと同じように限られるんじゃないかと
カラスは数え方という思考の整理法がないから
認識できるもの=数えられるものとなるだけであって

そう考えてみると、
朝街角で挨拶運動とかやっていても
人通りがある程度限られるところでは可能でも
うちの職場のようなところでは
正直、挨拶する気にもならない
このする気にもならない理由というのが
自分の認識の限界を超えているから
という説明はできないものだろうか

そう考えてみると、
少人数の場では人間味のある対応が可能だけれど、
うちの職場でこちらもお客様も些細なことで
大いに揉めやすいのは人対人という認識がお互いに薄いから
自分の感情を振り回している
という解釈もできるような気がしてくる
もちろんうちの職場だけでなく、
大都会で人間味が薄いという事象に対する答えとしても


こんなこと思いついたんだけどと、
その時同期に話してみたら
「難しいこと考えるね」と返ってきただけだった
大学や高校の友人ならもっと反応くれそうだけどな

検証もできない仮説ですが、
ご意見反論ありましたら是非お寄せください